事の戒壇とは?(1/1)

正本堂は事の戒壇ではない、と顕正会は叫ぶ。

事の戒壇とは、本門戒壇の大御本尊の御前のことをいう。対して義の戒壇とは、宗祖日蓮大聖人並びに御歴代の御法主上人猊下によって認められた御本尊の内、時の御法主上人猊下の許可・認可を得ている御本尊の御前のことをいう。これらの御本尊に流れ通う仏法の血脈が、大御本尊に通じているからである。

このような定義は、昭和45(1970)年4月になって初めて、時の御法主日達上人猊下が構え出した己義である、と顕正会は喚く。真実の事の戒壇とは、日蓮大聖人の仏法が広まった時に建てられる本門寺の戒壇のことのみをいい、それ以前の戒壇は、大御本尊の御前であろうと一般の御本尊の御前であろうと義の戒壇という。この定義こそが、代々の御法主上人猊下に伝わってきた日蓮正宗伝統の定義である、というのだ。

だが、本宗に伝わる事の戒壇の定義は、顕正会が昭和45(1970)年から叫んできた事の戒壇の定義だけではなかったのである。

義 vs 事

本門戒壇の大御本尊を祭る建物について言えば、浅井昭衛氏の主張は正しい。

事の戒壇という名称は、広宣流布が達成した時に建てられる本門寺の戒壇に対してのみ用いられるべきである。広宣流布が達成する以前の戒壇には、義の戒壇という名称しか用いてはならない。「事相」の上に実物が建てられるから「事」の戒壇と呼ぶ。この事の戒壇に「義理」が通じているから「義」の戒壇と呼ぶ。

浅井氏は、全くもって正論を吐く。本宗としても、異論はない。

しかしながら、昭和45(1970)年4月に日達上人が御説法されていたのは、大御本尊を祭る建物についてではなかったのである。

理 vs 事

日達上人が御説法されていたのは、本門戒壇の大御本尊という御法体それ自体についてであったのだ。

日蓮大聖人が御図顕された大御本尊は、その別名を文底独一本門事の一念三千という。一方、同じ法華経でも天台大師のものは、迹門理の一念三千という。それぞれの法体の呼び名の違いは、以下に由来する:

  ① 法華経は、前半十四品を迹門といい、後半十四品を本門という。釈尊が始成正覚の仏か、久遠実成の仏かの違いによる。そして、この久遠実成の本門がさらに二層に分かれ、文上と文底とになる。

  ② 天台大師の法華経は前半十四品に基づくが故に迹門といい、日蓮大聖人の法華経は後半十四品の文底に基づくが故に文底独一本門という。

  ③ 天台大師の法華経は、法華経の「義理」を心の中でのみ受持するから「理」の一念三千という。一方、日蓮大聖人の法華経は、法華経を「事相」の上に顕した大御本尊を身の上でも受持するから「事」の一念三千という。

  ④ 天台宗の戒壇は、その法体が迹門理の一念三千であるが故に理の戒壇と呼ばれる。かたや、日蓮正宗の戒壇は、その御法体が本門事の一念三千であるが故に事の戒壇と呼ばれる。

以上のような定義こそが、代々の御法主上人猊下に伝わってきた日蓮正宗伝統の定義である。

浅井氏の吐いた正論は、全くもって勘違いだったのである。

「好きだけど好きじゃない」

顕正会とは、全く関係のない話になる。

私が中学生だった頃、とても仲の良い女友達がいた。

その子は事あるごとに、私に対して「好き、好き」と言っていたので、私はいつからか、「この子の彼氏」のような気分になっていた。告白なき交際の始まりである。それも、私の心の中でひっそりと始まっていた。

そんなある日、私の「彼女」であるはずのこの子の口から、衝撃の真実が明かされることになる。

「ねぇ、隣のクラスにサッカー部の男の子いるでしょ。私たち、付き合うことになっちゃった(><)」

その一言にビックリした私は、悪気なき無垢な笑顔の「彼女」に対し、「彼氏」としてこう糺し訴えた:

「僕たち、付き合ってたんじゃないの? いつも『好き、好き』って言ってたよね?」

この一言に引いた様子の「彼女」は、罪の意識を感じている素振りも見せず、「彼氏」であるはずの私にこう切り返してきた:

「あぁ~、友達としては好きだけど、男性としては好きじゃない、かなぁ~」

たった一つの言葉でも、その意味は人によって異なる。相手の話をちゃんと聴かずにその意味を取り違えたならば、それは聴き手の責任である。この現実を乗り越えて初めて、男の子は男性へと成長する、と一個上の先輩は諭してくれたが…

「嗚呼、あの子の好きは好きじゃなかったのだと、今でも受け入れることができない…」

浅井先生とは、全く関係のない話である。

吉田 功
日蓮正宗法華講員 元・創価学会三世 昭和60年、東京都葛飾区にて学会三世として生まれるも、幼少の頃から、池田大作の写真から発せられる おどろおどろしさ に違和感を覚え、平成9年の中学校入学より学会活動を拒否。学会に籍だけをおく未活動会員だったが、親友からの学会勧誘がきっかけとなって、平成19年9月から創価学会を客観的に調べ始める。その過程において、創価学会が元は日蓮正宗の信徒団体であったが平成3年に破門されていたという事実が判明し、学会から正式に脱会することを決意。平成20年11月、日蓮正宗への再入信が叶い、令和元年の今日に至るまで、法華講員として信心修行に励む毎日を送ってきている。