天母山こそが戒壇建立の勝地である、と顕正会は叫ぶ。
天母山戒壇とは、「天生原(あもうがはら)」を「天母山(あんもやま)」と取り違えた顕正会の浅井昭衛氏によって再燃させられた過去の戒壇論である。日蓮正宗においては、地名としては実存しない「天生原」という名称が、総本山大石寺の一帯に大きく広がる「大石ヶ原(おおいしがはら)」を指す通称として、長年にわたって用いられてきた。
しかるに顕正会は、「天生原」は「天母山」の一帯を指す地名であって、決して大石寺一帯の「大石ヶ原」を指す通称ではなかった、と喚く。
だが、顕正会が昭和45(1970)年から叫んできた天母山戒壇は、浅井氏が地図と文献を読み違えたことによる勘違いに端を発していたのである。
「あんもやま」と「あもうがはら」
大石寺から東方に約四キロ進むと、「あんもやま」と呼ばれる小高い丘がある。
「あんもやま」には「天」と「母」と「山」の三つの漢字を当て、「天母山」と書いて「あんもやま」と読む。「天」の代わりに「安」という漢字を当てて、「安母山」と書かれることもあった。
「天母山」は、現実に存在する地域である。

一方「あもうがはら」は、「天」と「生」と「原」の三つの漢字を当て、「天生原」と書いて「あもうがはら」と読む。「生」の代わりに「母」という漢字を当てて、「天母原」と書かれることもあった。
「天生原」は、現在の地図にも過去の地図にも実在しない、文献の中だけで語り継がれてきたユートピアである。

そんな想像上のユートピアを、その発音や漢字が似ているというただそれだけの理由で、顕正会の浅井昭衛氏は、実際に存在している「天母山」に結び付けてしまった。

だが、理想を現実に妄想してしまったのは、浅井先生が初めてというわけではない。
元祖・天母山戒壇論者
元祖・天母山戒壇論者は、京都要法寺の日辰である。
要法寺は、京都市左京区にある日蓮「本」宗の大本山であって、第三祖日目上人の後継者に日尊師を据えている。大石寺の第四世日道上人への血脈を認めていないため、日蓮「正」宗から見れば、要法寺は異流儀となる。そんな異流儀寺院に端を発して広まり出したのが、天母山戒壇論だったのだ。
永禄10(1567)年、要法寺の住職であった日辰の『御書抄(報恩抄下)』によって広まり始めた天生山戒壇論は、長い年月をかけて次第に、京都から遠く離れた大石寺にも広まり始めた。だが、天生山が戒壇建立の勝地でも何でもなかったため、享保17(1732)年から同21(1736)年まで大石寺で猊座を務められた第二十九世日東上人によって、天生山戒壇論は鎮められることとなる。
そしてそれ以降、「天生『山』」ではなく「天生『原』」は、本門寺の戒壇を建立する勝地を指す通称として、日蓮正宗において用いられてきた。それは決して、実際の地名が存在していたからではない。

浅井先生は、過去の邪義を再燃させてしまった昭和の日辰だったのである。
『I’’s(アイズ)』の伊織ちゃん
顕正会とは、全く関係のない話になる。
男の子は、マンガのヒロインに恋をする。
マンガのヒロインは想像上のキャラクターであり、現実の世界には存在しない。マンガの著者が創り上げた理想像であり、読者の頭の中にしか存在しない。恋をしてはいけない存在なのである。
だが時に、マンガのヒロインが現実に存在するものと思い込んでしまう男の子が出て来る。良く言えばロマンチスト、悪く言えば妄想癖、世間から「キモい」と言われるアイツらである。
こう偉そうに語る私も、『I”s(アイズ)』のヒロインの伊織ちゃんが存在するものと思い込んでいた。
伊織ちゃんを知った16歳。
伊織ちゃんを叫んだ38歳。
伊織ちゃんが消えた42歳。
伊織ちゃんの存在を否定した著者を、「伊織ちゃん破壊」の罪に、私は処した。それによっていつの日か、「伊織ちゃん守護」の功績が私に与えられることを信じている。
「嗚呼、これからもずっと『伊織ちゃん守護』の戦いを叫んでいく!」
浅井先生とは、全く関係の話である。