エホバの証人とは、正式名称をものみの塔聖書冊子協会といい、1881年にアメリカ・ペンシルバニア州で設立されたキリスト教系新興宗教団体のことである。現在、協会本部はニューヨーク州ウォーウィックに置かれており、証人たちからは神の真の組織として信じ仰がれている。だが、その実体は、証人たちが思い描いている姿からは大きくかけ離れている。ものみの塔聖書冊子協会とは、世界最大の規模を有する雑誌の製本及び配送企業であって、エホバという神の名を看板に掲げているだけの宗教ビジネスに過ぎない。さらには、世界の隅々に張り巡らされた伝道網を通して、協会本部から宣べ伝わってきているのは神の言葉である、と証人たちは信じているようだが、実際に宣べ伝わってきているのは、神の教えなどではなく、神の名を冠したサタンの教えなのである。エホバの証人たちは、この事実に気づくことなく、日々の伝道活動を行っている…
エホバの証人は、協会の教えは神の教えだと本気で信じて、伝道活動を行っている。
エホバの証人は、自分たちがサタンの教えを広めていることに気付いていない。
【日本におけるエホバの証人の歴史】
ものみの塔聖書冊子協会の日本支部は、神奈川県海老名市中新田に置かれている。現在のエホバの証人の礎を築いたのは、1948(昭和23)年に協会本部が日本に派遣したドナルド・ハズレット(Donald Haslett)ら七名の宣教師たちであり、「ものみの塔聖書冊子協会」として宗教法人を取得したのは、ドナルドらの派遣から5年後の1953(昭和28)年10月のことであった。協会では、このときを日本伝道のはじまりと位置づけている。
しかしながら、エホバの証人の日本伝道は大東亜戦争以前にも行なわれていたのである。1926(大正15)年、ものみの塔聖書冊子協会の日本支部として、明石順三が「灯台社」を設立している。明石は、協会本部の指導にしたがって戦争に反対したため、治安維持法違反の科によって懲役刑に処された。また、妻の静江を獄中で亡くしている。協会本部の指導にしたがい、このような犠牲を払った明石だが、戦後に出獄したのち、協会本部から背教者というレッテルを貼られて、排斥処分を受けることになってしまう。表向きの理由はさておき、実際の排斥事由はとても興味深いものであった:
明石順三は、聖書の聖句を用いて、エホバはサタンの味方だと証明することができたのだ。
聖書の聖句を用いて、エホバはサタンの味方だと証明することができるらしい。
証人たちがエホバの名を口にしたら、その背後にサタンを見なければならない。