「この世代」とは?

エホバの証人の願いは、「この世代」が過ぎ去るまで叶えられることはない。

エホバの証人の願いを突き詰めていくと、ハルマゲドンの戦いに行き着く。ハルマゲドンの戦いが勃こらなければ、証人たちの願いが叶えられることもないからだ。そこで重要になってくるのが、この「この世代」なのである。

「この世代」とは、キリストの臨在が起こった1914年からハルマゲドンの戦いへと至る大患難の時が始まる時までの期間を測る唯一のものさしである。終わりの日の長さを測るものさしであるとも言える。ここで問題になっているのが、この長さを特定する記述が聖書の中にない、ということだ。

それでも1940年代より以来、エホバの証人は「この世代」の長さを特定することだけに、その貴重な時間と労力を費やしてきているのだ。

2013年7月の教義変更

「この世代」を巡る公式に関して、1940年代当時の解釈と現行の教義とを比較すると、以下のようになる:

「この世代」:1940年代の解釈と現行の教義の比較

1940年代の解釈では、大患難の時は終わりの日と同時期に起こっているもの、と考えられていた。しかし、2013年7月更新の現行の教義によると、大患難の時は終わりの日の次に起こるもの、と変えられてしまっている。

大患難の時には、イエスが天から降りてきて、証人たちに背く者たちを永滅対象として裁断することになっている。

ということは、それまで背教者に下されていた永滅の裁断が、2013年7月を境に、実はイエスの誤審だったと判明した、というわけだ。証人たちは、罪なき者たちを偏見の目で見ていたことになる。

逆に証人たちこそ、復活を目指して奉仕してきたそれまでの努力の一切合切が、2013年7月を境に、無駄な努力と化してしまった、というわけだ。

2008年2月の教義変更

「この世代」の方程式は、以下の通りである:

  大患難の時 = 1914年 +「この世代」

大患難の時がいつ始まるのかを知りたければ「この世代」の長さを求めればいい、ということがこの公式から判る。

次に、エホバの証人が行なってきた「この世代」の年数予想を、1940年代から各年代別にまとめると以下のようになる:

「この世代」:1940年代からの年代別比較

2008年以前の解釈では、「この世代」は世間一般の者たちから成る一世代であるとされていたが、2008年以降の解釈からは、油そそがれた者たちから成る二世代であるとする二世代論が、「この世代」に導入されることになった。

二世代論とは、「この世代」の長さは、キリストの臨在のしるしである第一次世界大戦を見た油そそがれた者たちの生涯と、ハルマゲドンの戦いを見ることになる油そそがれた者たちの生涯とが、その生涯のどこかで重なる程度の長さである、というものだ。無論、このハルマゲドンの戦いから、後に大患難の時が切り離されることになる。

その生涯の長さを各々80年間、合計160年間と仮定すると、ハルマゲドンの戦いは2070年代に起こるものと、統治体は証人たちにそう勝手に解釈してもらいたかった、というわけだ。そして、ハルマゲドンの戦いを大患難の時に替えれば、今でもそう勝手に解釈してもらいたいと思っていることに変わりはない、というわけだ。

世代を構成するグループが油そそがれた者たちだった、というのは解る。だが、世代を構成するグループの数が一世代でなく二世代だった、というのは解らない。

これは、単なるこじつけである。

1995年11月の教義変更

統治体のこじつけ解釈は、2008年に始まったものではない。1995年11月の教義変更においても、同じようなこじつけを弄しているのだ。

1995年以前の解釈では、「この世代」はキリストの臨在が起こった1914年に生きていた世間一般の者たちであるとされていたが、1995年以降の解釈からは、1914年に始まった終わりの日の出来事を見ることのできる世間一般の人たちが、「この世代」を構成するものと変えられてしまった。

要は、1914年から頻発するようになったという戦争、飢饉、地震、疫病のいずれかをリアルタイムで見ることができれば、その人は自動的に「この世代」の仲間入りを果たす、ということだ。

エホバの証人の願いは、「この世代」が過ぎ去るまで叶えられることはない。

だが「この世代」が過ぎ去ることはないので、エホバの証人の願いが叶えられることは決してない。

「この世代」の解釈は、無限に尽きることなく繰り返される協会の裏切り史の入口だったのである。

吉田 功
日蓮正宗法華講員 元・創価学会三世 昭和60年、東京都葛飾区にて学会三世として生まれるも、幼少の頃から、池田大作の写真から発せられる おどろおどろしさ に違和感を覚え、平成9年の中学校入学より学会活動を拒否。学会に籍だけをおく未活動会員だったが、親友からの学会勧誘がきっかけとなって、平成19年9月から創価学会を客観的に調べ始める。その過程において、創価学会が元は日蓮正宗の信徒団体であったが平成3年に破門されていたという事実が判明し、学会から正式に脱会することを決意。平成20年11月、日蓮正宗への再入信が叶い、令和元年の今日に至るまで、法華講員として信心修行に励む毎日を送ってきている。