人類創造七千年目とは?

1975年に、人類創造七千年目を迎えたらしい。

人類創造七千年目とは、アダムが創造された紀元前4026年に基づいて算出されたエホバの証人独自の年代計算であり、1975年の預言とも呼ばれている。この時に、聖書の創世記に記される第七日目の安息日が地上に訪れるものと期待され、当時の証人たちはイエスによる千年王国の到来を待ち望んでいた。

だが、証人たちはまたも協会から裏切られ、そして煽られた期待感の自己責任を余儀なくされた。加えて後世の証人たちからは他人事のように扱われて、同情すらしてもらえない有様なのだ。

神の名の下では、奴隷に人権などないのである。

第七日目の安息日に結び付けられた人類創造七千年目

1942年1月、二代会長ラザフォードが亡くなったことを受け、ノアが三代会長に就任した。

会長就任後のノアは、組織拡大に海外布教にと尽力を注ぎ、また『新世界訳聖書』の出版事業を成し遂げていく:

  ① 1943年:神権宣教学校を各会衆に設置し、ギレアデ学校をニューヨークに設立する

  ② 1950年:新約聖書をエホバの証人流に英訳し、クリスチャン・ギリシャ語聖書と名付ける

  ③ 1961年:旧約聖書をエホバの証人流に英訳し、ヘブライ語–アラム語聖書と名付ける

その『新世界訳聖書』の第一書目に当たる創世記には、天地創造の手順が以下のように記されている:

  第一日目:天と地、昼と夜

  第二日目:空

  第三日目:地と海、草木と果実

  第四日目:日、月、星

  第五日目:鳥、魚

  第六日目:野獣と家畜、男と女

  第七日目:安息日

以上のように、神は最初の六日間で天地万物を創造した後、第七日目を安息日と定めて休むことにした、とされている。

エホバの証人は、一日を一千年と解釈することもある。だから、アダムが創造されたとされる紀元前4026年から数えて七千年目の初めの年に当たるのが、1975年ということになる。

エホバの証人は、年の初めを秋口の十月と定めている。だから、七千年目の6001年目から7000年目は、1975年10月から2975年9月ということになる。

「安息日となる人類創造七千年目に、何か起こるのではないか!」

この淡く儚い期待感とともに、1975年の預言は形成されていくこととなる。

人類創造七千年目と結び付けられた千年王国

三代会長ノアは聖書の知識に乏しかったため、協会出版物の記事執筆は、後の四第会長フランズが担当していた。そしてフランズ氏によって執筆された記事は、ノア氏によって裁断されていた、というわけだ。

1975年の預言となっていく人類創造七千年目は、1966年にフランズ著の『神の自由の子となってうける永遠の生命』で初めて発表された。だが人類創造七千年目そのものは、ラッセルの預言にも見て取れる。

以下に、ラッセルの預言とノアの預言を年代順に比較してみる:

ラッセルの預言とノアの預言の比較

ラッセルの預言では、1874年にキリストが臨在するとしていたのは、その前年の1873年に人類創造六千年目が終わりを告げた、と当時考えられていたからであった。

ノアの預言では、ラッセルの預言に必要な調整を加えて1975年からとし、そこにあろうことか千年王国が結び付けられている。

「イエスの統治による千年王国が地上に訪れるのであれば、それ以前にハルマゲドンの戦いが勃こらなければならない!」

淡く儚い期待は根拠なき常識と結び付き、1975年の預言へと突き進んでいくこととなる。

奴隷に人権などはない

エホバの証人では、信者数を増やすための手段として、向こう見ずの年代預言を行ない、それに向けて証人たちを煽り立てていく、ということがある。

だがその時が来れば、証人たちは空想を見せられていただけだと気付く。そしてそのような空想へと煽り立ていった協会に、証人たちの抗議が集まる。

しかしエホバの証人には、そのような抗議を跳ね返すための常套手段がある:

「1975年までにハルマゲドンの戦いが起こると勝手に解釈したのは、証人たちの方である。協会は、ただ注意を喚起しただけだ」

煽っては裏切り、そしてその責任は転嫁していく。もちろん謝罪などはしない。

エホバの証人に仕える奴隷には、人権などないのである。

1975年の人類創造七千年目の預言は、協会の裏切り史の第三幕に過ぎないのだ。

吉田 功
日蓮正宗法華講員 元・創価学会三世 昭和60年、東京都葛飾区にて学会三世として生まれるも、幼少の頃から、池田大作の写真から発せられる おどろおどろしさ に違和感を覚え、平成9年の中学校入学より学会活動を拒否。学会に籍だけをおく未活動会員だったが、親友からの学会勧誘がきっかけとなって、平成19年9月から創価学会を客観的に調べ始める。その過程において、創価学会が元は日蓮正宗の信徒団体であったが平成3年に破門されていたという事実が判明し、学会から正式に脱会することを決意。平成20年11月、日蓮正宗への再入信が叶い、令和元年の今日に至るまで、法華講員として信心修行に励む毎日を送ってきている。