忠実で思慮深い奴隷は、1919年に任命されているはずである。
エホバの証人の現行の教義によると、1914年にイエスが天から降りてきてエホバの証人を見つけ出し、理事の再編成と逮捕投獄からの無罪放免をもって、1919年に統治体が忠実で思慮深い奴隷に任命された、とされている。この時を境に、統治体は聖句に時に応じた解釈を加え、それを証人たちに分配してきているのだ。証人たちにとっては、霊的食物の唯一の供給源と言えよう。
だが、当時の出版物を紐解いてみるに、奴隷に任命されたという事実を記述した箇所がどうも見当たらない。それとは逆に、単なる組織の準備係に過ぎないはずの初代会長ラッセルに対し、神の代弁者であるゆえに忠誠を尽くすよう煽り立てる記述が目についてならない。
忠実で思慮深い奴隷への任命というものは、1919年というその時期は無論のこと、その事実の存在すら危うくなってきた。
忠実で思慮深い奴隷への任命前(~1919年)
1914年から1919年までのエホバの証人の史実は、以下の通りである:
① 1916年10月:初代会長ラッセルが死去
② 1917年01月:ラザフォードが二代会長に就任
③ 1917年07月:『終了した秘儀』を発行する
④ 1917年07月:旧理事の四名が解雇され、新理事が任命される
⑤ 1918年08月:敵国のスパイ容疑によって逮捕投獄させられる
⑥ 1919年05月:無罪判決が下される
故ラッセル氏の遺作『千年紀黎明』の七巻目として発行された『終了した秘儀』には、以下のような預言が述べられている:
① 1918年春:油そそがれた者たちが天に上げられる
② 1918年春~1920年秋:ハルマゲドンの戦いによって地の政府は壊滅する
忠実で思慮深い奴隷に任命される前のエホバの証人では、ラッセルの預言はそのまま世襲され、そこに必要な変更が加えられた上で再利用されている。なぜならば、1914年に勃発した第一次世界大戦がハルマゲドンの戦いと考えられていたからだ。
ラッセルの預言とラザフォードの預言を、年代順に比較すると以下のようになる:

聖書解釈の調整は、エホバの証人の御家芸と言えよう。
忠実で思慮深い奴隷への任命後(1919年~)
忠実で思慮深い奴隷に任命された後のエホバの証人でも、ラッセルの預言に必要な調整を加えたラザフォードの預言はそのまま世襲され、そしてその預言の下、証人たちは相変わらず煽り立てられていくことになる。
だが、このラッセルの預言に忠誠を尽くすという信仰姿勢に対し、エホバの証人の中にも揺らぎが見え始める。そして大体1930年代から1940年代にかけて、ラッセルの預言に必要な調整を加えたはずの旧ラザフォードの預言にさらに必要な調整を加え、新ラザフォードの預言をゆっくりと作り上げていくようになる。
ラッセルの預言と新ラザフォードの預言を、年代順に比較すると以下のようになる:

終わりの日が1799年から1914年へといつ変更されたのか、それは定かではない。
キリストの臨在が1874年から1914年へといつ変更されたのか、それも定かではない。
だから、「大体1930年代から1940年代にかけて」としか言いようがないのだ。
外した預言はゆっくり調整すれば気付かれやしない、とエホバの証人は考えているのだろう。
思想的イジメと茹でガエル
エホバの証人には、外した預言でさえも証人たちに信じ込ませるための常套手段がある:
「1914年のハルマゲドンの預言は、神の名の下に行なわれたものである。これを信じられるかどうかは、証人たち当人の神に対する信仰心の問題であり、協会の問題ではない」
外れた預言が当たったと信じろ、と神の名の下に強要してくるのである。証人たちにとって神は絶対であるから、強要を拒否するわけにはいかない。このような論法こそが、思想的イジメというものである。
外れるような預言を預言するようなものなど、そもそも思慮深いとは言えない。
思慮深くないのであれば、イエスからの任命など、そもそも受けていないのであろう。
任命を受けていないのであれば、忠実で思慮深い奴隷そのものが、そもそも存在していなかったということになる。
証人たちは、統治体に裏切られているという現実に気づいていない。まさに茹でガエルである。
1919年の忠実で思慮深い奴隷の預言は、協会の裏切り史の第二幕に過ぎないのだ。