エホバの証人の生活とは?

エホバの証人たちは、自分たちは細かい儀式や規則のない自由な民である、と信じている。自分たちが従うのは聖書の教えのみであり、聖書に書かれている真理にしたがってさえいれば、自分たちは自由になることができる、という。このような信条に基づいて、証人たちは週に二回ある集会に足しげく通い、協会機関誌『ものみの塔(研究用)』の研究を通して、聖書の指針を生活に当てはめようとしているのだ。では、聖書の指針に基づいたエホバの証人の生活とは、いったいどのようなものなのだろうか? 以下に、日ごろの生活に直接関係のあるものだけを厳選して列挙していく:

1. 証人たちは、『イエスの死の記念式』以外の行事は祝わない。

お祝いごとが一切ない生活を、子供の目線から想像してみてほしい。同級生の友達が誕生日を親から祝ってもらっている中で、自分の親は誕生日を祝ってくれないのだ。子供の喜ぶ顔を見るよりも、神が喜んでくれないからと神の顔色を窺うほうが、親にとっては大切なようだ。証人の子供たちは、神のために自分の欲求を抑圧しなければならない…

イエスの死の記念式とは、毎年3月下旬から4月上旬(ユダヤ暦のニサンの月の14日)に開催されるイエスの死を記念する式典のことである。この記念式は、証人たちにとって唯一のお祝いごとである。

2. 証人たちは、世間一般の政治活動には一切の係わりを持たない。

ここでいう政治活動とは、国の選挙活動に限ったものではない。小さいものでは学校の委員会活動もこれに含まれ、そこからさらに派生して、国歌や校歌の斉唱を拒み、国旗に敬礼することをも拒む。証人の家庭に生まれた子供が、小学校で同級生みんなが校歌を斉唱している中で、自分だけはしゃがみこんで唄わないでいることが、どれほど恥ずかしく、どれほど辛いことか想像できるだろうか。証人の子供たちは、神のために自分の感情を抑圧しなければならない…

政治活動を拒む背景には、エホバの証人は神の王国の住人であって、世の住人ではないという考え方がある。

3. 証人たちは、暴力に訴えてしまうことを憂慮して、戦いを学ばない。

戦いには、兵役はもとより日本武道の柔道や剣道、運動会の騎馬戦までも含まれる。戦いを学ばない理由は聖書の聖句に準拠したものであるが、それにくわえて、戦い方を覚えたものは問題解決の手段として暴力に訴えるからという理由も挙げている。そのため、中学以降の体育の授業には、柔道や剣道を休む証人の子供たちの姿が見られる。なんと女々しい姿ではなかろうか…

戦いを学ばないことを巡り、1990年に神戸高専剣道実技拒否事件が起こった。必須科目である剣道の履修を拒否したエホバの証人の子供たちに対し、学校側は留年処分、そして退学処分を言い渡した。それを違法として証人側が学校を提訴し、1996年に最高裁は学校側の処分取り消しを決定した。退学処分を受けた証人の子供は、21歳で第二学年に復学した。

4. 証人たちは、大学以降の高等教育を推奨していない。

エホバの証人が言うに、大学教育は自分自身のために行なうものである。どんなに自分自身のために努力したとしても、所詮、それは金儲けのための手段に過ぎない。また、大学教育は世間一般のために行なうものである。どんなに世間一般の政府が尽力しても、所詮、神の王国以外は本当の平和をもたらすことなどできない。ならば進学などはせず、新聞配達のようなパートでもして、伝道活動に注力するべきである、と証人たちは子供たちに圧力をかける。証人の子供たちは、神のために自らの夢も犠牲にしなければならない…

高等教育は、『ものみの塔』1992年11月1月号で正式に解禁されている。だが、エホバの証人の公式ホームページ上では、高等教育を推奨しない旨、いまだに掲載されている。

5. 証人たちは、子供のしつけとして、虐待を推奨している。

エホバの証人は、外部に対しては暴力反対を掲げていながら、内部に対しては虐待賛成の姿勢を示している。その代表例が、ムチによる子供たちのしつけである。エホバの証人の集会は二時間続く。集会中はずっと静かにしていなければならない。それは証人の子供たちも同様である。もし我慢できなければ、親からムチによるしつけがほどこされる。ムチの体験者が言うに、しつけは「虐待」に近いものだったと。証人の親たちは聖書の教えに則って「愛」のムチを加えているというが、この情景を子供たちの目線から想像してみてほしい。自分の親が「エホバ」の名を狂い叫びながら、自分にムチをふるってくるのだ。子供たちの目には、自分たちの親の背後に「サタン」の影が見えていたにちがいない。証人の子供たちは、「虐待」を「愛」と思い込まなければならない過程を通して、自らの感情を操作していく…

この信条がじょうじて発生したのが、1993年11月の広島・エホバの証人「せっかん死」事件である。四歳の次男が夕食を食べ散らかしたため、二十七歳の父親が、子供のおしりや顔をムチ代わりのビニールホースで打ち、裸にして縁側に締め出しては水を浴びせかけ、挙句に一晩中放置して、凍死させた。懲役四年の実刑判決を受けた。


ムチによる虐待を受けて育った証人の子供たちが思春期を迎えると、新たなる虐待の標的にさせられる。幼少期のものを肉体的虐待と名づけるならば、思春期のものは性的虐待と称することができるだろう。男の子にとっては、AV禁止とオナニー禁止という性欲の抑制である。だが、女の子の中には、協会の長老による性的虐待を実際に受けているケースもある。エホバの証人の女児性的虐待に関しては別に論ずる機会を設けるため、ここでは俯瞰して述べるにとどめておく。レイプは、成人女性でさえ「魂の殺人」と銘打たれるくらいにトラウマを残す経験である。ましてや、思春期を迎えたばかりの多感な女の子にとって、どれほどのトラウマが残る経験であるか、想像しても想像し尽くせない。それも、不意に一回だけ襲われるだけならともかく、何回も、何年にもわたって犯される。相手の行為に対して反抗できるならまだしも、長老は神の代わりゆえに反抗することさえも禁止されるのだ。女の子たちの目には、中年男性の長老の中に「サタン」の存在を感じていたにちがいない。証人の子供たちは、神のために自らの性をも捧げなければならない…

6. 証人たちは、生殖以外を目的とした性欲関連行動の一切合切を禁止している。

エホバの証人は、性に関して厳しい規制を敷いている。AVやオナニーが禁止されているのは先に述べたとおりだが、デートに関しても証人特有の定義がつけられている。デートは、結婚を前提とした男女でなければ行なってはならない。かりに男女が部屋の中で二人っきりになっただけでも、周りの証人たちから嫌疑をかけられてしまう。神の名のもとにこのような規律が敷かれているため、証人の子供たちは自分の中に芽生えた異性に対する好意から目を背ける癖が自然とできあがっているのだ。また、エホバの証人は、結婚した後でも性欲を抑制し続けなければならない。結婚してやっとセックスが解禁されたとしても、結婚で解禁されたのは生殖を目的とする純粋なインターコースのみであり、快楽目的のオーラルセックスが解禁されたわけではない。ましてや、ハンドプレイなどは論外である。以上、エホバの証人には、好意の抑圧と性欲の抑制が常についてまわっている。それもすべて、神への奉仕のためなのだ…

7. エホバの証人は、輸血を拒否する。

エホバの証人のことをよく知らない人でも、エホバの証人は輸血を拒否する人たちだと聞いたことはあると思う。証人たちは、実際に輸血を拒否するのだ。だが、この見解には賛否両論あり、一概にどちらが正しいと言えるものではない。輸血を受けて肝炎をうつされてしまったケースがある一方で、輸血を拒否して亡くなってしまったケースもある。それが、1985年大ちゃん事件である。

1985年大ちゃん事件とは、1985年6月6日、神奈川県川崎市の交差点で、小学5年生の鈴木大ちゃんがダンプ―カーに巻き込まれ、両足骨折という重傷を負った。大ちゃんの父親はエホバの証人の信仰上の理由で輸血を拒否。事故発生から約5時間後、大ちゃんは出血多量による急性腎不全(出血性ショック死)で死亡した。享年10歳。

8. 証人たちは、集会と伝道以外の活動を行なっていない。

エホバの証人の活動は、集会と伝道以外にない。もちろん、仕事はしているが必要最低限に止めている。証人たちは、聖書の教えを身につけるには集会に参加する以外にないといい、神の王国の認知度を高めるには伝道を行なう以外にないという。逆に、世間一般の活動を行なえばサタンに惑わされてしまうという。そのため、次第に集会と伝道を中心に日々の生活を立てるようになり、男性信者はパートの仕事に走って貧困にあえぎ、女性信者は協会の活動にはまって婚期を逃す。証人たちは、日々の生活が集会と伝道に忙殺されるにつれて、自らの頭で考えることを放棄していくようになる…

9. 証人たちは、世間一般の事柄から距離をおいている。

エホバの証人の信条の根底には、この世はすべてサタンによって支配されているという考え方がある。金儲けはサタンの誘惑の手段だからといって正社員を卑しみ、娯楽(映画、音楽、書籍)もサタンの誘惑の道具だからといって避けようとする。さらには、エホバの証人以外の人たちは、サタンに惑わされている人たちだからといって交わらないようにし、外部からの情報もサタンの教えだからと称して遮断している。そのため、証人たちの頭のなかには、協会から教えられた考え方しかなく、そのため世間一般の常識とか出来事とかはまったく解かっていない。証人たちは、外部とのつながりを断たれることによって、内部に傾注せざるをえなくなる…


以上、エホバの証人の生活を幼少期から順番に列挙してみた。だが、これらはあくまでも代表的なものを解かり易いようにカテゴリー分けして並べただけであり、証人の生活の中には、他にも細かな規則が乱立している。死後の霊魂は存在しないから先祖供養はせず、偶像崇拝をしないからお墓参りもできない。乾杯の行為などは、異教徒の習いに起源をもつ慣習だから絶対にできない。できないことばかりで生活は占められており、エホバの証人になると、息が詰まる生活を余儀なくされるのだ。


~神の性格的特徴~

① 神は、相手がたとえ子供であろうと、自分以外のものが祝われると嫉妬心を懐くらしい。

② 神は、自分以外のものが称えられると嫉妬心を懐くらしい。

③ 神は、奴隷の反乱を恐れて、戦いを学ばせないようにしているらしい。

④ 神は、知恵の実となることを恐れて、高等教育を受けさせないようにしているらしい。

⑤ 神は、幼少のころからの体罰を推奨し、自分に従順な奴隷を作ろうとしているらしい 。

⑥ 神は、男の子は去勢して奴隷とし、女の子は性奴隷として召し抱えていくつもりらしい。

⑦ 神は、人間の男女がいちゃつくのを黙って見守ってあげることさえもできないらしい。

⑧ 神は、自らの頭で考えられないように、協会の活動で忙殺させようとしているらしい。

⑨ 神は、証人たちに疑問を抱かれないように、外部とのやりとりを遮断しているらしい。

⑩ 神は、人間が苦しむ姿をみて快楽を感じてしまうらしい。


吉田 功
日蓮正宗法華講員 元・創価学会三世 昭和60年、東京都葛飾区にて学会三世として生まれるも、幼少の頃から、池田大作の写真から発せられる おどろおどろしさ に違和感を覚え、平成9年の中学校入学より学会活動を拒否。学会に籍だけをおく未活動会員だったが、親友からの学会勧誘がきっかけとなって、平成19年9月から創価学会を客観的に調べ始める。その過程において、創価学会が元は日蓮正宗の信徒団体であったが平成3年に破門されていたという事実が判明し、学会から正式に脱会することを決意。平成20年11月、日蓮正宗への再入信が叶い、令和元年の今日に至るまで、法華講員として信心修行に励む毎日を送ってきている。

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