統治体とは?

統治体、エホバの証人の中にあって、神と人類とを繋ぐ唯一の経路である。

統治体は、1919年にイエスから忠実で思慮深い奴隷に任命されて以来、聖書の聖句にその時に応じた解釈を加え、それを真理と称して証人たちに分配してきた。その分配手段の一つが、『ものみの塔』を始めとするものみの塔聖書冊子協会の各種出版物である。

証人たちは、自らを聖書を信じる神の民と称している。しかし、聖書の解釈を統治体に依存している以上、正しい称し方は、イエスに選ばれたと主張する統治体を信じている神の民ということになってしまう。

だが、この「イエスに選ばれた」という統治体の主張も、単なる自称に過ぎないようなのである。

1919年の預言

1919年の預言とは、1914年に天に臨在したイエスが地上へと降りてきて、地上にあるすべての組織を検分してエホバの証人を見つけ出し、次いでその組織の浄めを行ない、そして正式に神の組織として任命した、というものである。

ここで、1919年の預言の内容を歴史的観点から述べてみる。

まずは検分:

1881年に法人化されたエホバの証人は、初代会長ラッセルの下、従来あったキリスト教の教義が偽りであったことを宣べ伝えていく。この活動が、偽クリスチャンの中にあって、唯一の真のクリスチャンであることの証明となり、エホバの証人はイエスの検分をパスすることになる。

つぎに浄め:

1916年10月に急死したラッセルの跡を継ぎ、1917年1月にラザフォードが二代会長に就任した。だが、その独裁的な運営方法に対し、ラッセルの意を汲んだ当時の理事が反論するのだが、ラザフォードは理事七名中の四名をも組織から追放し、代わりに自らの意を呈した幹部を理事に据えたのである。一見、単なる権力争いにしか見えないこの組織改革だが、イエスの目から見ると、組織の浄めに当たるというのだ。

そして任命:

第一次世界大戦の最中にあって、その出版物の過激な内容から、エホバの証人は相手国のスパイ容疑をかけられ、ラザフォードと理事七名は、1918年に逮捕、投獄されてしまう。だが、それから一年後の1919年には、八名全員が釈放されることになった。この出来事をもって、エホバの証人は、イエスから忠実で思慮深い奴隷に任命されるに至った、というわけなのだ。

最後に通釈:

掻い摘んで述べると、エホバの証人にとって、初代会長ラッセルは単なる組織の準備係に過ぎず、二代会長ラザフォードこそが神の組織へと霊的に高めた功労者なのである。

忠実で思慮深い奴隷の任命

1919年の預言とは、キリストの臨在の1914年に紐付けて、統治体の地位を絶対化させるためのものなのだ。

「下克上講演」、そして統治体の発足

「下克上講演」と呼ばれるスピーチがあった。1971年に後の四代会長フランズによって述べられたものである。

その内容は、ものみの塔聖書冊子協会が統治体を統治するのではなく、逆に統治体が協会を統治するべきだ、というものだった。

つまり、当時の統治体は協会に属する一機関に過ぎず、聖書解釈や協会の各種出版物は、統治体の絶対的権限下にはなかったのである。

ラッセルが亡くなる1916年までの聖書解釈と出版物は、会長による一者独裁の下にあった。

ラザフォードが亡くなる1942年までの聖書解釈と出版物も、会長による一者独裁の下にあった。

三代目のノアに代わってもなお、聖書解釈と出版物に対する権限のすべてが会長から統治体に取って代るようなことはなかった。

霊的食物である聖書解釈は、複数名からなる統治体によって準備されなければならない。会長一人だけの権限であってはならないはずだ。

このような独裁体制が続く中、フランズの「下克上講演」が起爆剤となって組織改革が起こり、1976年、現在にみる統治体が発足する運びになったのである。

組織内における権力の変遷

経歴詐称と偽装表示

エホバの証人は、聖書預言の二重成就を信じている。だから、イエスの時代に起こった出来事を、何とかして現代にも当てはめようとする。

ここで、1919年の預言の内容を宗教的観点から述べてみる。

ユダヤ戦争には、ローマ人がユダヤ人の反乱を制圧するのに、エルサレムが崩壊した西暦70年か三年半の年月を要した、という一幕がある。

統治体が自らの歴史を振り返ってみたところ、ラザフォードら幹部八名が逮捕、投獄されたのが、キリストが臨在した1914年10月から数えて大体三年半後に当たる1918年5月の出来事だった。

この協会にとっては不祥事ともいうべき会長の逮捕投獄も、イエスの時代の出来事を重ね合わせることによって、統治体の地位を絶対化させる好材料になる、というわけだ。

1919年の預言

1919年の預言も1914年の預言と同様、聖書のつぎはぎ方程式に沿った後出しジャンケンだったのである。

統治体は、イエスから任命を受けてはいなかった。それにもかかわらず、地上における唯一の神の経路を自称している。そして、恐れ多くも神の言葉に人間の偏った解釈を加え、それを真理と偽って純真無垢な証人たちに分配してきていた、というわけだ。

なるほど出版物のいたるところに、「自分たちは人間だから間違えることもある」との言い訳を書き殴っているわけが、ようやく理解できた。

経歴詐称は犯罪であり、偽装表示も犯罪である。

可哀想なのは、そんな統治体を信じている証人たちだ。

吉田 功
日蓮正宗法華講員 元・創価学会三世 昭和60年、東京都葛飾区にて学会三世として生まれるも、幼少の頃から、池田大作の写真から発せられる おどろおどろしさ に違和感を覚え、平成9年の中学校入学より学会活動を拒否。学会に籍だけをおく未活動会員だったが、親友からの学会勧誘がきっかけとなって、平成19年9月から創価学会を客観的に調べ始める。その過程において、創価学会が元は日蓮正宗の信徒団体であったが平成3年に破門されていたという事実が判明し、学会から正式に脱会することを決意。平成20年11月、日蓮正宗への再入信が叶い、令和元年の今日に至るまで、法華講員として信心修行に励む毎日を送ってきている。