統治体が、その独自の聖書解釈を神からのメッセージと信じさせて、証人たちに分配する経路には、三つある:出版物、集会、そして大会である。
出版物は、そのすべてが統治体によって書かれた上で、直ちに各国の言語に翻訳される。そして、世界の隅々まで張り巡らされた協会独自の伝達網を通じて、世界各国の証人たちへと送り届けられている。
集会は、各会衆ごとに週二回、王国会館と呼ばれるエホバの証人の施設において開かれる。そこに出席する証人ひとりひとりの霊性を高めるのがその目的であり、そこでは統治体の意を呈した長老の指導の下、聖書研究と称した協会出版物の研究が行なわれている。
大会には、年二回開かれる巡回大会と年一回催される地区大会との二つがある。そこでは、バプテスマと呼ばれる儀式が行なわれて新しい証人たちが誕生する一方、新たな出版物や聖書解釈が発表されることもあるため、証人たちにとっては待ちに待った一大イベントである。
エホバの証人の分配経路は、それ自体に問題はない。だが、統治体から流れてくるメッセージが、実はサタンに毒されたものだったから、ここで問題にしているのである。
メッセージの三重性
ものみの塔聖書冊子協会は、出版業を主とする宗教ビジネスに他ならない。
協会の代表的な出版物としては、定期刊行誌の『ものみの塔』と『目ざめよ!』、協会の翻訳による独自の聖書『新世界訳聖書』、そしてエホバの証人への入門書である『聖書は実際に何を教えていますか』である。
これらの出版物に込められたメッセージ性を俯瞰するに、どうもメッセージの三重性を有しているように感じられる。
一重目:
一般人への配布を考慮して書かれたもので、一般用の『ものみの塔』や『目ざめよ!』がここに該当する。その内容は、誰が読んでも差し障りのないトピックに終始しており、また聖書を前面に立てて書かれているため、一般人のエホバの証人に対する印象が損なわれることはない。だが、九九九九ある良い話の中に、たった一つだけとはいえ、悪い話が紛れ込まされてあるのだ。
二重目:
証人たちへの教育を目的として書かれたもので、研究用の『ものみの塔』や『聖書は実際に何を教えていますか』がここに該当する。この段階から、統治体についての教育が施され始め、そして直に、統治体流でしか聖書を解釈することのできない証人たちが誕生することとなる。つまり、サタンのメッセージを宣べ伝える者たちが世に放たれるということだ。
三重目:
証人たちに対する洗脳を意図せず描かれたもので、ものみの塔聖書冊子協会の各種出版物に載せられた挿絵のすべてが、ここの対象になる。協会の出版物から感じられる形容し難き気味悪さ、その正体こそが、挿絵から発せられるサタンのメッセージだったのである。文字の上には書かれていなかったがゆえに、その気味悪さを説明することができなかった、というわけなのだ。
サブリミナル・メッセージ
サブリミナル・メッセージとは、視覚イメージ等を用いて、潜在意識に直接メッセージを送ることをいう。このようなメッセージは通常、顕在意識で認識されないよう、挿絵の中に巧妙に紛れ込ませてある。その手法としては、以下に挙げる三つがある:
① メッセージ性のある文字を紛れ込ませる
② メッセージ性のある絵を紛れ込ませる
③ ミラーイメージ

もちろん、サブリミナル・メッセージの効果を実証することはできない。
だが、その効果のあるなしを問題にしているのではない。ここで問題にしているのは、表に向けられたメッセージの裏に、それと相反するメッセージが紛れ込まされていたという事実なのである。
だって、気味悪いではないか!
譬えていえば、汚れているいないを問題にしているのではない。ゴキブリが歩き回ったお皿を洗いもせず、そのまま料理をのせて、客に出したという事実を問題にしているのだ。
だって、信用できないではないか!
エホバの証人はサタンの証人である。
『聖書は実際に何を教えていますか』は、エホバの証人を育成するための入門書である。
その44頁、『イエス・キリストはどんな方ですか』と名付けられた第4章の中に、ミラーイメージを狡猾に使ったサブリミナル・メッセージが紛れ込ませてあった:

これは紛れもなくサタンである。
ものみの塔聖書冊子協会が作成する出版物の中には、サタンが紛れ込んでいる。証人たちは、エホバのメッセージと称したサタンのメッセージを宣べ伝えていたのだ。
エホバの証人はサタンの証人だったのだ。
一部のエホバの証人は、このような気味悪い絵が紛れ込んだのはたまたまだから、問題にはならない、と弁明する。だが、紛れ込んだのがたまたまだったからこそ、問題はさらに深刻化するということに、証人たちは気づいていない。
だって、誰が今サタンに惑わされているのか、判らないんだから…