神のヒエラルキーとは?

エホバの証人の教義においてその根幹をなすもの、それが神のヒエラルキーである。

神のヒエラルキーとは、エホバの証人の組織内における主従関係を表したものであり、その教義のすべてが、この支配階層の上層から下層へと下されている。指令方向は、あくまでも上から下への一方通行であって、その逆は絶対にあり得ないのだ。

神が全知全能の絶対的な人格の持主であるならば、その命令に間違いなどあり得ない。ならば、人間の浅はかな知恵を挟むよりかは、神の指図に従順に従っていた方がいい、と証人たちは素直に信じている。

だが、この理論が成り立つのは、その指図が実際に神から出たものであればの話である。

神の民

エホバの証人は神の王国に属する民である、という。

地上は、一時的にサタンの支配下におかれているに過ぎず、故にサタンの手下である地上の政府の下、証人たちは一時的にその国家にそこの国民として暮らしているに過ぎない。しかし時が経てば、神の王国に住む神の民となれるのだから、エホバの証人は神の民なのである、という。

この理屈に立ってみれば、証人たちの言動が理解できよう。

我が主人はエホバのみである。だから、他国の選挙に参加しないし、他国の国家を歌わないし、もちろん他国の祝祭日も祝わないのだ。

我が法律は聖書のみである。だから、その聖書が禁じている戦い、輸血、不道徳は避けなければならないし、逆にその聖書が勧めている集会と伝導は行わなければならないのだ。

証人たちは、とても従順な人たちだったのである。

三つの神のヒエラルキー

教義上の神のヒエラルキーは、以下のような階層を有している:

一. 教義上の神のヒエラルキー

エホバとは、全知全能の神・天地創造の主のことである。この神の名を世に知らせているがゆえに、証人たちは自らをエホバの証人と称しているのだ。

イエス・キリストとは、神の御子として過去に実在した肉のイエスのことではなく、1914年10月に天の王国の王に即位した霊の存在としてのイエスのことである。

統治体とは、ものみの塔聖書冊子協会に属する複数名の兄弟からなる集団のことである。1919年にイエスから神の組織の任命を受けて以来、聖書にその時に応じた解釈を加えて、その聖書解釈を各種出版物を通して証人たちに分配してきた。だから、統治体も世の法人組織に属するものではなく、天の神の王国に属する霊的なものなのである。

監督および長老は、統治体の意に沿って任命された兄弟のことであり、受け持った各会衆に属する証人たちに霊的指導を与えている。そのため、証人たちの持つあらゆる生活の諸問題は長老に持ち込まれ、その長老の力量に応じたアドバイスが下されることになる。世のアドバイスは、厳に慎まなければならないのである。

以上の実像から判断するに、実質上の神のヒエラルキー、以下のようになる:

二. 実質上の神のヒエラルキー

証人たちから見上げた世界

「神は絶対である。逆らうことなどできやしない。もし背けば、神によって永滅させられる」

このように、証人たちは幼少の頃から教え込まされてきた。もちろん暗黙の了解ではある。

イエスは神である、神の御子であるがゆえに。

統治体は神である、イエスの任命を受けているがゆえに。

監督や長老も神である、統治体の意を呈しているがゆえに。

証人たちの目から見上げた組織は、このように映っているようだ:

三. 認知上の神のヒエラルキー

だが、エホバとイエスは空想の産物に過ぎない。

ならば、エホバの証人とは、統治体の聖書解釈を信じる集団だったわけだ。

吉田 功
日蓮正宗法華講員 元・創価学会三世 昭和60年、東京都葛飾区にて学会三世として生まれるも、幼少の頃から、池田大作の写真から発せられる おどろおどろしさ に違和感を覚え、平成9年の中学校入学より学会活動を拒否。学会に籍だけをおく未活動会員だったが、親友からの学会勧誘がきっかけとなって、平成19年9月から創価学会を客観的に調べ始める。その過程において、創価学会が元は日蓮正宗の信徒団体であったが平成3年に破門されていたという事実が判明し、学会から正式に脱会することを決意。平成20年11月、日蓮正宗への再入信が叶い、令和元年の今日に至るまで、法華講員として信心修行に励む毎日を送ってきている。